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投げやりとかじゃないです、決して。 誰でもみんな、思うままに、が理想のはず。

    

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空の上から見下ろす人と、地上から見上げる人
見てる景色は全く違うし、考えてることも違う
でも共通してるのは、お互いの顔が見えないということ
 
 
 
太平洋戦争に関するドキュメンタリー番組で、時々、元アメリカ兵の人にインタビューしているのを見る。
空襲で焼けた日本の街を、当時戦闘機に乗って爆弾を投下したアメリカ人に見せる。
もう皆いい歳になってて、どこにでもいそうな穏やかな顔のおじいちゃんに、黒く焼けた死体の写真を見せる。
「これは、あなたが落とした爆弾で死んだ人たちですよ」と伝える。
このやり方には、見る度にどうしても違和感を抱かずにいられなかった。
 
なんだろう、なんて言うんだろう、卑怯というのは言い過ぎかもしれない、でも、なんか、違うんじゃないかと思ってしまう。
60年前でも罪は罪、事実は消えることはない。
私は当事者じゃないから、戦争の怖さも、犠牲になった悲しみも分からない。
でも、そんなことをして今、そのおじいさんたちに何をさせたいんだ。
「この時に生き残った人は今でもあなたたちを憎んでいますよ」って言いたいのか、そんな取材陣の日本人こそ何者だ、って思ってしまってた。「忘れちゃいけない」という意識を過剰に取り沙汰してるんじゃないかと。
 
でもそれも的外れな憤りなのかもしれない。これは誰に宛てた番組なんだろう。お年寄りが見て何かしら思うためのものなのだったら、私なんかが思うことは見当違いだ。でもテレビである以上誰もが見るものであるのだから、やっぱりこれは賛否両論を受ける覚悟の上でのものなんだろう。じゃあこれは、誰が何を思うことを意図してるのか。
当事者じゃないから、という言葉は最強の逃げ言葉だ。そして突き放される切り札にもなる。何をどうしたらいいんだ。
 
 
今日、また戦争に関する番組「ヒロシマ」を見た。60年前に原爆開発に関わり、投下の現場にも立会い、それを上空から撮影したアメリカ人男性と、その爆心地で被爆した二人の日本人が対面するという、思い切った企画だった。
原爆ドームのすぐそばで、すごく天気のいい昼に、三人と通訳が向き合って座る。
そこで日本人の男性が求めたものは、「犠牲者への謝罪」であり、それに対する元アメリカ兵の信念は「真珠湾を忘れるな」だった。
 
終わってないんだ。
対話がだんだん感情的になりそうで、それをお互い抑えようとして、でも話は「どの死に方が一番酷いか」の極論になってしまいそうで、でも冷静に話し合おうとして…の緊張感が、見てて苦しかった。60年は少年を年寄りにしてしまう。どんなに知りたくても、その時代その場所に居なかった人間には決して分からないことだらけだ。幸せなことだと思う。同時に、悲しいことでもある。
 
 
私はおじいちゃんから戦争の話を聞いたことがないままだった。
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