投げやりとかじゃないです、決して。 誰でもみんな、思うままに、が理想のはず。
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深夜のwonder×wonderという番組で
アンデスにある「ウユニ塩原」というものの特集をやってた。
富士山よりも高い標高で、四国の半分ほどもある面積のその大地は、全て真っ白な塩に覆われている。
どんなに掘っても削っても、すぐに濃い塩水が染みだして分厚い塩の地面に変わる。
見渡す限り眩しいくらいの白。
雨が降ると地面に溜まった水が鏡のように空を映して、空も地面も真っ青で境目がわからないほど。
夜になれば無数の星が同じように地面に移って、プラネタリウムみたいだ。
そこら辺で眠くなって続きは見てないけど。
世界一美しい水溜まりだと思った。
ほんとに、すごく綺麗だった。
見てみたいなぁ。めちゃくちゃ遠いけど。
「美しいもの」の種類やその基準は様々あるけど、例えばそれを「景色」に絞ったとして
人類史上最も多くの「美しい景色」を見た人は誰だろう。
それを求めて旅をする人はたくさんいるだろうけど、それを求めない人、あるいは旅をしない人の方がもっとたくさんいると思う。
必ずしもそれが人生の目標であるとは限りませんから。
じゃあ人間一人の人生の中で、一度でも美しい景色を見ることができた人はどれくらいいるだろうか。
どんな景色かは、個人の好みに任せるとして。
自分はどうだろか。
見たかなぁ。
見ても忘れちゃってるのかも。
見たとして、それを「最も美しい!」と確信できるだろうか。
確信が持てないとして、「じゃあ探しに行こう」と思うべきなんだろか。
今、死んでしまったら、今までの記憶の中から決めるしかないわけだ。
じゃあ、まだもうちょっと待ってくれ、って言いたいよなぁ。
貪欲ですよね、美しいものを見るという行為はそれこそ美しいものかもしれませんが、
満たされてないから求めるわけであって、私はまだまだもっと生きてもっと見たいと思うんだけど、たぶんそれって誰でも同じなんでしょうね。
だからせめて、昨日や今日でその行為の可能性を断たれてしまった人は、それまでに彼にとって最も美しいものを見た記憶があればいいなぁと、思います。
何が言いたいんかわからんくなってきたけど、死ぬことって誰にとっても唐突なものとは限らんわけよな。これは友人に宛てて言ってるのですが
こんなこと書いて不快に思わせてしまったらほんまごめんやけど、なんか書かずにおれんくなったから思ったことをぽつぽつ書いたよ。ごめん、なんもできんけど。
これはうちに宛ててくれたって思って良いんかな?笑
彼が19年の間に最も美しいものを見たかは分からん。
けど、自分本位やけど、
彼がベースを持って飛び跳ねている姿、2人で夢を語り合った時のあの笑顔、そして先輩方の神の演奏に聞き入った真剣な眼差し、
そのどれもが1年間付き合った中で見た『彼の美しい姿』だったよ。
苦しみから解放された今、楽になっていることを、大好きな楽器を触れていることを、
そして病室の天井ではなく、美しい景色を見れていることを
ただただ祈るばかりです。
ありがとう。
PS
>ごめん、なんもできんけど。
そんなことない。
来年だっけ?遠く離れた場所に行っても良い。
けど、元気に生きていてくださいな。
夏に会おうな!!