投げやりとかじゃないです、決して。 誰でもみんな、思うままに、が理想のはず。
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全然重いハナシでもなんでもないんだけど、伝えるのってやっぱり難しいなって思う出来事がちょっとあったもんで。
人に送ったメールの返信が、思わぬ反応だったことにちょっと戸惑う。
そんなつもりじゃなかったのにー。ていうか答えてほしいのはその部分じゃなくて。。っていう。
言葉が足りなかったか。
文字で言うことと直接言うことのメリットデメリット。言葉数の差とジェスチャーの有無による違い。
要点を整理しやすい「文章」は、言わんとすることは伝わってもニュアンスに関しては意図しない捉え方をされて。
声のトーンや表情も添えられる「言葉」は、ジェスチャーに頼りがちになってうまくまとめるのが難しい。
筑波大学の学祭にて
演劇サークルの公演を見てきました。オムニバス形式の五本中三本、すべて三十分程度のもの。
三本ともそれぞれに系統は全く異なるものでしたが、正直、どれも残念さを感じて仕方がなかった。
何がしたいのかは、なんとなくわかる。でも何が言いたいのかは全くわからない。
ああ、こんな雰囲気のこんな世界を創る、芸術的「っぽい」センスを見せたいんだな、という感じ。
それは作演の人の一方的な内面世界でしかなくて、それを外側に発信するにはあまりにも独りよがり。
「伝えたい意思」は無く、「観られたい願望」しか感じられない。そんな一本目。
笑いを狙ってた二本目は、素直に笑えなかった。面白いことを言ってるのはわかる、でもなんでそんなに中途半端なんだろう。とてもとてもぎこちなく感じた。「笑わせよう」という雰囲気よりも「(面白いんだかわかんないけど、とりあえず)セリフだから言ってる」ようにしか見えなくて。
あと、もったいない役者さんがいた。せっかくおいしい役で、しかもそれを無理なく着ることのできるビジュアルをしているのに。振り切って成りきってほしかったなあ、と。いるだけで笑いをとれる存在っていうのは、とても羨ましい。絶対に真似されない特権。
朗読劇という形の三本目は、ごめんなさい、眠かったんです。なんの話だかよくわからないなあと思っているうちに意識が飛んでいたのです。
あああ好き勝手書いちゃった。
言葉にすることと声にすることの諸々を考えてたら止まんなくなっちゃった。
演劇にも当てはめられるテーマなんだなと思って。
「書く」が「読む」へ、そして「声」と「動き」に。
難しいことは考えたくない、でも理屈と感性を兼ね備えられる人になりたい。